『永遠のファシズム』読んだけどさ・・・(否定的な話) 

『永遠のファシズム』を読む。
正直オオン・・・としてしまう。

2016年にこの世を去ったイタリアの小説家・思想家のウンベルト・エーコ。1932年生まれ、第二次世界大戦を体験したイタリアの少年の目から見たファシズムは、「ファシズムと言えばドイツ」という偏見を打ち崩してくれるし、アメリカへの思いも「西洋」とひとくくりにしてしまう彼らの区分けを感じさせてもらえる。

ただア・・・

わたしが読みたかったのは「人は内なる獣性があり、それは教育で打ち崩すことができる」のような文脈で、いったいどのような!?とワクワクして対象の「移住、寛容そして耐え難いもの」という項目を読んだのだけど、残念だけど「白人の大人の知識層は学のない一般庶民にできること少ないけどがんばろうぜ!」という特権階級へのメッセージだったでござる。

「貧しい人たち」と「裕福な層」をはっきりと分け、裕福な層は不寛容の教義は生み出したが実践するのは貧しい人たち。だから彼ら貧しい人たちが不寛容を実践する前に教育することはできるよ!という・・・

おれの女・障害者として賃金を直接クソ搾取してくんのは「裕福な人たち」だし、「貧しい人たち」とは連帯できてると思ってて、時代だね・・・エーコさん・・・

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『永遠のファシズム』読んだけどさ・・・(否定的な話)2 

いえでもね、個人的には好きですよエーコさん。

この年代の人なのに、ファシズムが抑圧した性について「女性蔑視、純潔から同性愛に至る日画一的な性習慣に関する偏狭な断罪」をマチズモとして批判している。
女性そのものや同性愛もさることながら、純潔・・・これはノンセクシャルやアセクシャルじゃないだろうか、「生殖につながらない愛情」を肯定しているの、いいナアと思うし。というかこのあたりの世の中のファシズム的なもの、「原ファシズム」を問うた項目『永遠のファシズム』はさすが本のタイトルにもなる名文。

1990年代に将来的なポピュリズム・・・「個人を無視するファシズムが重用する、質的な大衆」は「インターネットで一部の大衆の声が切り取られて使われる」であろうと喝破。そうなってまーす!!

でも、インターネットがあったからこそ野蛮なバカだけじゃなく、貧乏で学歴もないモンが学んだり連帯することもできてね。エーコさん、大衆の力をちょっとみくびっていたかな、という印象。

とはいえ全体的に面白い本でした。「原ファシズム」とは統率の取れていない思想であり、非合理が信条であり、批判を嫌う。批判(批評)は科学的な知的営みであり、ファシズムは知を嫌う。うっとこの国ですエーコさん

ちょっとアレだよね、アカデミーの力に重きを置きすぎているというか・・・

というかあれか?本邦の大学機関が劣化しすぎて、ぼくのよーなマイノリティ高卒よりマジョリティ大卒のバカが跋扈するよになっていること、これをエーコさんは推理ができなかったのかもしれない。

おれが頭がいいんじゃなくて、本邦の・・・大卒で議員になって口移しでチップ渡して「多様性」とか言っちゃう大馬鹿、こっちの方をエーコさんは見破れなかったということだろうか。謎は尽きない

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