アレを昔好きだったという事実は変えられないのよなぁと嘆いているポストに「あんなのいまの時代の笑いじゃないですよ!」とか「わたしはずっと嫌いでしたけどね!」みたいなリプぶらさげられてもなあ。「あんなのを好きだったお前はバカだなぁ」という嘲りなんだろうか。なんか文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけど面倒だからやめとこう。

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「時代が」というだけじゃなくて彼らも、そして私も若かったんだよね。もちろん今の判断基準だったらNGだなと思うこともあったのはわかる。けど師匠持たないで自分らの言葉だけで切り開こうとしたり、大御所だろうが突っ込んだりとか、少なくとも自分らが「権威」になるまでの彼らは自分らの言葉でお笑いとしての道を切り開こうとしてたのはあると思うんだよね。好き嫌いは別にして。問題はそれが受けていって売れていったときに、彼ら自身が忌避してきた「権威」を振り回すことになったことで。なので私はある時期から離れてしまった。最初からあいつらはヤンキーの階級支配的、イジメの構造だけみたいな意見は「本当にそうだっけ?」みたいな部分もちょっとある。

私は別に彼らへの郷愁でこういうことを語ってるんじゃなく、「チンピラの立ち話や」と横山やっさんに言われた彼らはなぜ日本のお笑いの頂点に上り詰めたのか、私は彼らのどこに惹かれたのかをもう一度考え直したいなと思ってるだけなので。それが「大衆がバカだから」「お前もその一員」だけで終わらせるのはあまりに雑じゃないの?と思うので。それだけじゃないと思うんだけど、まだあんまり言語化できてません(酒が悪い)

ダウンタウンへの郷愁(じゃないけどね) 

これ見よがしに横山やっさんのエピソードこすられてるけど、あれは「お前らは所詮チンピラ風情」というのは「漫才の間も話術もまだ出来てない修行が足りないガキが粋がるなよ、という話であって人間性の批判じゃないんだと思ってますけど(もし事実関係違ったら否定してください)。

そういうお笑いという「芸」ではない「発想とワードセンス」という今のお笑いのベースにあるもの、M-1の功罪もあると思うけど、そこにはやっぱりダウンタウンを外して考えられないとおもうんだよな…。暴力的なツッコミやコントのエクストリームな、悪ノリが行き過ぎた感じは90年代サブカルの悪癖のような気もするけどさ。

私はいとしこいしの漫才も大好きだけど、それは漫才という「芸」だ。一方でダウンタウンの漫才や、ガキつかのフリートークなんかはそれとはある意味別ジャンルで非常に面白いと思ったものだけどなぁ。ちなみにM-1でチュートリアルが王者になったとき「ああ、ダウンタウンの申し子やなぁ」と思ったものです(個人の感想です)

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