最近「反差別」を掲げている自分がしんどい。もちろん居直る気は無いし、差別反対の声は上げ続けるけど。
自分の中にも差別感情は「確実に存在」しています。僕は、それに抵抗し続ける事が、自分自身の「反差別」でもあります。それに無知が重なって、誰かを深く傷つけてはいないか不安になる事があります。「ありとあらゆる差別に反対してるって言ってる割には」みいな投稿を目にすると「何かやらかしたかな」と思ってドキッとします。
もう一つは、これも自分の無知故に「反差別を掲げながら案外差別的な人や投稿」を信じて拡散してしまう事への不安です。僕自身、「この人、案外差別的な考え方してるな」と思う事もありますが、反対に、そういう人(投稿)だと思わずに信じて拡散しているのでは?と、最近は過敏になっています。
@simostukisizuk そうですね。信頼できる人と指摘しあうようにするというのが一番いいかもですね。
@nasukoB
そうですね。人間は完璧ではないし、完璧を目指しすぎるのも苦しいですし。
日常生活では「Best」も「More better」も目指さずに「ちょいGood」を幅広く集めるようにしています。「あのアイス美味しかった」とか「綺麗な花が咲いている」といったささやかな出来事でも、いっぱい集めれば「こそこそ心の支えになる」のではと考えています。「そこそこ」っていうところがポイントです。「絶対的な支え」一本で押し切ると、周りが見えなくなったり、「失う恐怖」に苛まれると思うので。
「あれから一年。安倍さんがいてくれたらこんな事には!」みたいにならない様にしないとです。
@simostukisizuk
わかる〰怯えるよね〰
@simostukisizuk
考えすぎって思っても、やめられないのだ…
自分がめんどくせえ
🍥😇🍥
@pandapanda
思考が堂々巡りしちゃうんですよね🌀
@simostukisizuk
そうそう🍥🍥🍥
@simostukisizuk そもそも、差別って何かご存じ?と問い詰めたくなる人が多い。理解してくれないって事じゃないんだよね。主張する権利を認めないって事なのよ。
僕の「症状」
うつ病と発達障碍で「不安が常に身体にまとわりついている」状態なので。「お前は何がそんなに不安何だ?」と言われた事もありますが、僕の場合は「何かに対する不安」を抱いているのではなく、「不安そのものに襲われ続けている」のです。不安がずっと心の中に「へばりついている」のです。「自信」も全く無く、毎日何かに怯えて暮らしています。その「何か」とは何か?と問われても、「突然襲って来る虚無感」とか「不安の塊」としか表現できません。自分でも「分からない」のです。それが24時間365日「まとわりついている」としか言いようがありません。