ver7.1のムニエカの町の話は最初から最後まで一人の××のエゴの話だったのかもなあという感想2(※ネタバレ)
プレイ後にまず気になったのが、この人形たちは腕がもげようが頭が潰れようが、時間の経過で朽ち果てるまで生き続けるのかなということ。しかも彼らはエドアルドの死を知らされていないので、壊れたときになってエドアルドを探し回ることになる。
そんな状況になっても装置によって「穢れ」を取り払われた彼らは悲観することはない。ボロボロの体で100年ものあいだニコニコ踊ったり楽器を奏でたりする…そんな未来が見えるけれど、ルーミリアは「彼らが幸福でありますように」と口にする。
そもそも、人間であるなら怒りや悲しみや憎しみを抱くのは普通なのに、彼女はそれを「穢れ」と呼んで、彼らを自分の望む姿に作り変えようとする。彼女が何かをするほどに、彼らは元の彼らから遠いものになっていく。
挙句にルーミリアは自分の行いでそうなった人々の状況を悲観しながらも、自分の手で彼らを止めるという選択はせず自然死を待つという。それはおそらく、彼女が自分の手で彼らを壊したくないからだろう。
ver7.1のムニエカの町の話は最初から最後まで一人の××のエゴの話だったのかもなあという感想3(※ネタバレ)
おまけに、ルーミリアは人形たちが朽ちるまで見守ることもなく、グランゼニスの復活のために消滅してしまう。主人公たちはあらかじめ目的を話していたため、主人公の協力を引き受けた時点でそうなることは予想できたはずなのに。
ルーミリアのこの行動には、飼っていた金魚の世話ができなくなったからと言って近所の川に放つような無責任さを感じる。放ったあとの金魚がほかの魚に捕食されたとしても、彼女自身の手は汚れない。
自分が悲しいから復活させて、自分が辛いから「穢れ」を取り払って、自分が壊したくないからもう修理できない人形たちを放置する。
ルーミリアの行動は最初から最後まで一貫して自分自身のためであり、そのために町の人々を好き勝手に振り回した。
ムニエカの町の話の終わり方はプレイヤーによって受け取り方が大きく変わりそうだけれど、自分はそういう話だったのかなあと思いました。