バリューブックスの「納品書のウラ書き」。吉本ばななさんの日記のような本を紹介するお話の中に、深く頷きたくなる文章があったので引用しておく。 〉自分の生活の「記憶」も残したくなる、残しておかなければならないものがあることに気づかせてくれる。 

日記を書き始めた2015年3月当時は、大好きなゲームキャラクターに倣ったに過ぎなかった。思い出だけは自分のものとして持っていられるんだって考えるようになって、書くことの意味が変わっていった。
いつかは忘れてしまう。忘れて、無くなってしまわないように。読み返して、思い出せるように。

でも、近頃は少しだけこわいことを思ったりする。例えば何かの病気とか事故とかで、記憶が無くなってしまったら。思い出だけは自分のものだって思っているのに。
そんな状態で過去の自分が書いたものを読んだら、一体どんなことを思うのだろう。

中学生の頃に「ジョー・ブラックをよろしく」という映画を観た。不思議と印象に残ったシーンがあって、死期の迫ったおばあさんとジョーが話す場面。詳しくは思い出せないんだけど、思い出を作りなさいとか大事にしなさいとか……思い出があれば悲しい別れだって何とかなる、みたいな内容だったと思う。 当時の自分は「そんなこと言ったって悲しいのなんて嫌だ」って感じで腑に落ちなかったような。今なら深く頷くことができるんだけど……思い出を作ることができたからかな。お別れの後からでは、思い出は作れない。 「好きな人について書き残すこと」は「その人を好きだと思う自分自身についても書き残すこと」に繋がっていて。私はそうやって思い出を作っていったのかも。 

そういえば……以前読んだうつ病の本に「若者には未来を、老人には過去を語ってもらう」みたいなことが書いてあったなぁ。未来を語ることの効用とは無縁のままだったけれど、過去を語ることの効用なら理解できるようになった。

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子どもの頃って「思い出作らなきゃ」みたいな圧が何となくあって、距離を置きたくなる言葉だったような……。 

今思えば「思い出を作る」=「特別なことをする」ではないのにね。自分が感じること、その強さが大事にしようと思える記憶を作るんだと思う。自分という土台の上に、思い出をくれる存在や世界を広げてくれる存在が加わることで膨らんでいくんだ。きっと。

最初に引用した「納品書のウラ書き」の文章。夜な夜なダイアリーを開いて、何だかんだと書くこと。短期記憶障害。思い出を作れなくなってしまうこともあるんだってこと。色々な感情があるけれど、書けなくなるその日まで書こうと思った。ちょっと面倒に思ったりもする……それでも。

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