二次創作とクィア・リーディング(長)
以前、noteか何かで「腐女子の二次創作はクィア・リーディングなんていう高尚なものじゃない❗ 思い上がりだ❗ 私たちがやってるのは単なるオナニーであって批評行為なんかでは断じてない❗ (要旨たぶんだいたいそんな感じ?)」的なことを力説している文章があったんだけど、なぜそこまでして怒りながら、「批評」というものをやたらと高尚で格調高いものに奉り、それに対置させるものとしての自分たちの創作を卑しめて自虐して地に堕とすことに熱心にならなければならないのか、そのモチベーションがさっぱり理解できなかったな。
あたし個人的には、原作でセクシュアリティが明示されていない架空のキャラクターのセクシュアリティをマイノリティのそれと仮定して二次創作することはある種のクィア・リーディングではないか、というテーゼは十分議論になり得ると思ってるよ。ケースバイケースだとも思うけど。これだけマジョリティのための物語が数多く作られる世の中で、それに抗する創作活動としては、きっと一定の価値を持つのではないだろうか。