今、「消費」という言葉がやたらとあちこちで使われているという体感があって、この言葉って「あなたのやってることは実は消費なんですよ」という糾弾にも使えるし、「私は○○を消費してしまっているのかも…」という自省のようなことにも使えてしまうんだけど、あたしはこの言葉の使い方に疑問を抱いている。
人間とかアイドルとかキャラクターとかフィクションとかなんでもいいけど、ある対象を「消費」していると感じるとしたら、その帰結として何が問題で、持続可能的にするにはどうすればいいのか、構造や何かしらに問題があるなら何を変えればいいのか、を考えるべきはずのところが、「消費だ…」と暗い顔をするだけで終わってしまっているような気がして。むしろそれこそあたしは思考停止のように感じる。
もう一歩、もう少し踏み込んで考えてみないか。話はそれからだ。という気がするんだな。