『52ヘルツのクジラたち』を観ました
原作(町田その子)未読です。
X(旧Twitter)でこの映画について、「自分にはこの映画をフィクションとして『消費』することはできない」という旨のポストを見た。正直そのポストの内容を最後まで読んでいないのでそれが批判だったのかどうかはわからないんだけど、それが心に引っ掛かって何となく観るのを躊躇していた。
確かにこの映画で語られていることはひとつひとつすべてが、あまりにも重くて苦しい。ただ私は、この作品に出会えてよかったと思う。
児童虐待、家族や血の呪い、トランスジェンダーの苦悩、都市と地方の間にあるマイノリティの生きやすさの違い、など、それらを「泣けるドラマ」にしてしまっている、と言われればある意味そうなのかもしれない。でもこの映画では、ひとつひとつのイシューを決して雑に戯画化したりせず、すべてと愚直に向き合って体当たりして、丁寧に丁寧に描こうとしていたと感じた。
『遠いところ』を観た時にも思ったが、映画や小説などのフィクションが帰結として引き起こせる行動は「消費」だけではないと、私は思う。フィクションにも、フィクションだからこそ、できることがあるはずだと、創作をしようとする者の一人としてその力を信じている。