死の受容プロセスで取引段階について「この病気が治るならなんでもする」と書かれることが多いけど、ここにある味の話していいですか? そもそも前提が「死の受容プロセス」じゃないですか。約束された死!何をしても終末!全てを投げ打ったところで受け入れらることのない提案、ああ、味がしますね…… なお、ここでメンタル全損事象があるとより個人的に美味しい気がしますね、料理にのせるパセリみたいなもので、彩りと風味を与える。パセリがなくても料理は美味しいし、パセリを取り除いたっていい。個人の嗜好の問題なんですが。いわゆる、なんでもするって言ったよね?という。なんでもする相手はあくまで死を決定づける者であるのに、そこらの塵芥にいいようにされてしまうの、美味しい〜!添えるだけで目を惹き彩を与えるその絶望感が抑鬱に繋がりこそすれ、なにひとつ救いのないアクセラレータ!救いが死だ。そうだね。 パセリでもパクチーでもデザートの上のミントでも。なんでも、こういうのはクセがあるぶんヘキが出やすいんじゃないですか?どちらも癖と、書きます。