津久井やまゆり園のこと(1) 

津久井やまゆり園のこと

明後日は、あの事件が起こってから8年だそうだ。あの事件を思うと、喉が詰まるような、胸がキリキリするような感覚に阻まれてうまく思考できないのだけれど、ここmastodonになら何か書けるだろうか。

あの事件の数年前、私の娘は津久井やまゆり園に短期入所した。18歳になり当時入っていた児童施設を退所しなくてはならず、成人の施設を探していた。たくさんの施設を見学したが、どこも空きなど一件もない。その中で、重度の知的障害のある娘でも対応可能で、なんとかお試しの一時入所だけでも受け入れてくれる施設が数か所あり、その中の一ヶ所が津久井やまゆり園だった。

先に娘を連れて見学した時、説明を聞きながら、私の気持ちは少し高揚していた。自然に恵まれた素晴らしい環境。広い敷地内では、美しい庭を散策できる。まだ新しくて綺麗な建物と、整った環境。利用者の部屋は個室で、広い体育館やプールもある。

津久井やまゆり園のこと(2) 

私が特に惹かれたのは、園内には作業所も併設され、そこを同法人のグループホームの入所者や、自宅から通ってくる人も利用していることだった。娘は重度障害者だが、とても人が好きで、感情豊か、コミュニケーションの上手な(言葉は喋れないけれど)子だ。施設に入所しているのは重度であまり人とコミュニケーションを取らないタイプの人が多い。それに比べ、グループホームや通所の利用者は軽度でコミュニケーションが取りやすい人が多く、そういう人と日中触れ合えるのは、娘にとってとても嬉しいことだろうと思ったのだ。

見学が終わり、担当の職員に話を聞くと、空きはないが、定期的に一時入所を繰り返し、空きができたら入ることは可能だという(何年かかるかは分からないが)。早速、その場でぜひ、短期入所をしたいとお願いしたと思う。また、その時、今いる中で一番若い女性入所者の年齢を聞いた記憶がある。30代か40代だったと思う。大分離れているな、とは思ったが、通所の利用者もいるし、とそんなに気にはならなかった。また、娘のように若い待機者もいないとのことで、もし娘が入所したら平均年齢がグッと下がるね、と職員さんが笑顔で言ってくれた。

津久井やまゆり園のこと(3) 


それからしばらくして、日程の連絡があり、実際にお泊まりをした。最初ということで、一泊か二泊だったと思う。離れる時、娘は泣いたが(いきなり知らない所、知らない人しかいない所に連れて来られ、これからど何が起こるのかのか全く分からないのだから、当然だ)、数日後、迎えに行った時、娘は笑顔で他の利用者さんの中に溶けこんでいた。娘のその様子を見、職員この数日間の娘の報告を聞いて、やっぱりここに入所できたらいいな、もうここ一本に絞って短期入所を繰り返し空きを待とう、と思った。実際、次の短期入所の予定も入れた。

結果的に、娘は別の施設に入所した。津久井やまゆり園の前にお試しの短期入所をした施設から、空きができたと知らせがあったのだ。そちらは断って津久井やまゆり園に、とも思ったが、児童施設に相談したら、それは無理だと言われた。既に18歳を過ぎ、本来いられる年齢を過ぎている。そもそもこんなに早く入所できるなんて奇跡的で、次に空きがいつ見つかるかなんて全く不透明だ。それまで待つなんて贅沢は許されるものではない。娘は、そちらの施設に入所し、すっかり馴染んで楽しい日々を過ごしている。

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津久井やまゆり園のこと(4) 

2016年7月26日。あの事件の報道を見た私が、どれだけ衝撃を受けたか、おそらくここまで読んでくれた方には分かっていただけると思う。私は、テレビに出てくる犠牲者の性別と年齢、女性(19歳)という表記から目が離せなかった。もし、あの時、今の施設から声がかからなかったら。あのまま津久井やまゆり園の短期入所を続け、空きを待っていたら。犠牲者は、娘だった。娘だったのだ。犯人が最初に侵入した部屋は、娘があの時泊まった部屋かその付近だった。

もし、娘が犠牲になっていたら、私は粉々に壊れ、生きていなかったと思う。娘を失った悲しさだけではなく、私は、わざわざ自分で選び、またとんでもない間違いを犯したことになっていたから。植松に対する怒りとか、正直あまり感じていない。なんだか、このことに関してうまく考えたり感じたり出来ないのだ。ただ、なんとも得体の知れない恐怖が私の心に棲みついている。

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