劣等な映画鑑賞者なので割と最近はっきり気が付いたが、スピルバーグが製作やプロデュースをして監督を他の人間に任せた作品と自ら監督まで務めた作品には、当然の事ながら明確な差異があるのだなと。で、自分はスピルバーグの監督としての曰く言い難い、恐怖や残虐の描写に対し放っておくとタガが外れそうなラジカルさにだけ興味があるようで。エドワード・ヴァン・ヘレンのギタープレイに似た、ニコニコ健全なエンターテイメントを作ってるだけなのに制約無く自由にやらせておくとどんどんヤバい方向へと逸脱していくアメリカ人表現者特有の奇矯な発露の在りよう。何故監督が編集しないの?的な時折たけしが口にするアメリカ映画への疑問は理解するしどっちかと言うとそう思っているが、それと同時に「監督するだけで自分の色が付けられるならば自分の仕事はそれで充分!」という職人的技量と心意気も仲々興味深く思えて来た。スピルバーグが作るような映画は結局プロデュースも自分でやった方が良いのだろうけど、後進の若手にチャンスを与えるとかそんな余計な配慮はせずに面倒でも本人が監督もやって欲しいなと、それはコッポラに対しても望む事だけど。