東畑さんの記事、全体主義下で分断され、本人の意思とは無関係に孤立を含む個人にされてしまった人々の選挙立候補者への共感の話とも取れ、危ういものを孕んでいるのはその分断という現象で形作られた心身のバランスの悪さからくるある種の熱狂だろうなあとも思ったりして。熱狂っていうと、拳振り上げウオオオ!キャアア!みたいなのをイメージしがちだけど、そうではなく、賭けにも似た、切羽詰まった感じ。もうこの人に賭けるしかないんだ、みたいな、運命共同体みたいな、候補者を生身の人間ではなく、ヒーローとか救世主と錯覚してるというか。