毒親だった両親殺した「ジェンダーの呪い」 アルテイシアさんの怒り
https://www.asahi.com/articles/ASS942JGFS94UCVL00SM.html
この記事に対しての富永京子のコメプラ、上から水かけにきてるみたいに感じるんだが?遠回しに社会運動や意欲を鎮火させようとしてない?
《素晴らしい記事でしたが、この記事にあるアルテイシアさんのご経験を「シスターフッド」「ジェンダー」「ルッキズム」「オッサン化」「男らしさの呪い」といった言葉なしに読みたいな、とも思ってしまいました。
フェミニズムに限らずですが、上にあげたような概念や言葉って、個人的な問題が政治的であるということを示したり、自己の問題が自分自身ではなく社会構造に基づくことを示すにはいいのかもしれません。ただ、使われすぎると問題の所在を逆に有耶無耶にしてしまうとも感じています。よくある概念でラベリングしたことで、何か主張した気になってしまう副作用もあります。
そういう意味で、あくまでこれらの概念は体験を解釈し、問題に気づくための「とっかかり」の言葉であって、気づいた私たちに求められているのは、むしろその言葉なしで、改めて自身の体験をどう考え、他者の経験と交わらせていく方途ではないでしょうか。》