夏の花 原民喜
今年も読む。
私は厠にゐたため一命を拾つた。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかつたので、夜明前には服を全部脱いで、久振りに寝巻に着替へて睡つた。それで、起き出した時もパンツ一つであつた。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぷつぷつ難じてゐたが、私は黙つて便所へ這入つた。
それから何秒後のことかはつきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加へられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思はずうわあと喚き、頭に手をやつて立上つた。嵐のやうなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があつた。その時まで、私はうわあといふ自分の声を、ざあーといふもの音の中にはつきり耳にきき、眼が見えないので悶えてゐた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持もはつきりして来た。
それはひどく厭な夢のなかの出来事に似てゐた。最初、私の頭に一撃が加へられ眼が見えなくなつた時、私は自分が斃れてはゐないことを知つた。それから、ひどく面倒なことになつたと思ひ腹立たしかつた。そして、うわあと叫んでゐる自分の声が何だか別人の声のやうに耳にきこえた。しかし、あたりの様子が朧ながら目に見えだして来ると、今度は惨劇の舞台の中に立つてゐるやうな気持であつた。たしか、かういふ光景は映画などで見たことがある。濛々と煙る砂塵のむかふに青い空間が見え、つづいてその空間の数が増えた。壁の脱落した処や、思ひがけない方向から明りが射して来る、畳の飛散つた坐板の上をそろそろ歩いて行くと、向から凄さまじい勢で妹が駈けつけて来た。
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@I
本当にそうですね。絶対に忘れてはいけないです。