『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
 3時間半は30分のごとく過ぎ去った。
 ずっと漂う「不安な感じ」「イヤな予感み」。ずっと緊張。

 日本でいうなら『福田村事件』しかり、差別から来るジェノサイドはどの国にでもあるしどの国にとっても「都合の悪い」黒歴史であり、誰もが口をつぐみ、ともすれば「無かったこと」になる。直視しろ、謝れ、という声にマジョリティが応え始めたのは、驚くほど最近のことだ。旧宗主国が植民地支配を謝罪したり、先住民に謝罪したり先住民の民族自決権を保障したりという流れの先に、この作品もあると思う。あまりにも後ろめたく、あまりにも取り返しようのない罪。それがスコセッシの手にかかればこんなにも「面白く(←不適切かもしれないが他に表しようもない)」描けるのか、と、感嘆とか感服とかをとうに超える、ひれ伏すような気持ちになる。もちろん原作のおかげとも思うけれども、あえてアンソニーを主人公にする手はこのチームでしかできなかったと思う。ディカプリオの提案で脚本を書き直した、という報道を見たが、それを受けたスコセッシは「あ、これお安いご用じゃね?」と思ったはず。十八番の極上の「下っ端右往左往物語」である。(続)

 



『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
(続き)
 デ・ニーロの狂気。「あぁ、待ってました!!」と泣きたくなる。しびれる。。。。
 出だしっから「俺のことは…そうだな、キングと呼べ」だよ、もう、、、出だしっからサイコなんだこの人は。でもそこで「えっ」とか「あ、やっぱ帰ります」とドン引きできなかったアンソニーは、もうその時点でヘイルに支配されてしまった。
 口を開けば「受益権」「受益権」「受益権」…どう先住民から利権を奪うかしか考えない、人を自分の駒としか考えないクズだけれども、オセージ族の冠婚葬祭に参加しオセージの言葉を話し、見事に懐に入り込んで信頼を勝ち得ている、穏やかな老紳士。身柄を拘束されても決して怒りをむき出しにしたり怒鳴ったりしない。めちゃくちゃ怖い。真骨頂だった。
(続)





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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
(続き)

 モリー役のリリー・グラッドストーン、めちゃくちゃ上手だった。
 なんて悲しい目なんだろう、心を奪われる。悲しい姿もまたきれいで。
 目だけで、モリーが備えている知性が伝わってくる。夫を信じたい気持ちや夫への愛と、「どう考えたっておかしいだろこれ」という不審。両方の板挟みで苦しい内面を、あんなにも静かな演技でぜんぶ表現しきっている、ものすごい才能だと思う。私に何を注射してたんだ、と投げかけるときですら、静か。
 それに対しての、あのアンソニーの小者感。あれもまたディカプリオの匠の技としか。。。
 「単なるサインだから」「あなたのためなんだよ」…古今東西あるあるの「それ、ひっかかっちゃいがちなヤツ」にもれなく飲み込まれていくアンソニー。モリーへの愛は偽りないはずなのに、でも注射してしまう「ダメなやつ」。ヘンリー・ヒルのようにお金中毒・コカイン中毒でもない分、なんでこんなことしちゃうのか謎で、叔父への恐怖・忖度に流される弱さと「ほんとガッカリだよあんた」感が強い。彼を主人公にして話を転がせるスコセッシとディカプリオの技量、心から尊敬する。





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