『プライベート・ライアン』 
 体調不良で学校を休んだ子どもと一緒に観る。
 何度泣いたら気が済むのか。というか、気が済むことなどあるのだろうか。
 全世界の学校の歴史の授業で、第二次世界大戦を学ぶ際に観るべきだとすら思う(せめて冒頭30分は)。
 
 トム・ハンクスの抑制的な演技は、どのシーンでも突出している。ノルマンディー上陸作戦のただ中、部下たちの肉片や臓物にまみれながらも、決してパニックにはならず次から次へ最善の指示を出す姿、かといって「冷徹」ではなく人間味を帯びた状態で奮闘する姿。あの天才的なバランスは一体どう編み出されているのか…トム・ハンクスでなければ不可能だったと思う。
 教会で、震える手を眺めながら、1人部下を死なせたら2人の命を救うためだったと思わなければやっていけないと話す姿。ウェイドを失った時に隠れて必死で抑えながら泣く姿。なぜ会ったこともない二等兵の命を救うために(大事な部下の命の捧げてまで)こんな作戦を遂行しなければならないのか、誰よりも煩悶して苦しむ姿を、「愚痴は上官に言うものだ」と言って沈黙し続ける背中で演じるトム・ハンクス。泣かずに観られるわけがない。

(続)
 




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(承前)
 ミラー大尉同様、職業軍人ではない部下たちの姿に、「戦争ってこうなんだよな」「だから戦争なんてやっちゃダメなんだ」と繰り返し思う。人間なのだから。それぞれかけがえのない個性、自分だけの人生を背負った、それぞれの夢・家族のある人間なのだから。

 アパムの存在。
 アパーーーーーーーム!!弾持ってこーーーーい!!!
 アパーーーーーーム!!!
 アパムは私だ、と思わずにはいられない。というか、スピルバーグは観客に向けて「アパムは君だ」というメッセージを込めていると思う。

 戦争をリアルに撮れば撮るほど、結果として反戦映画になる。
 スピルバーグとヤヌス・カミンスキーの知性と才能が産んだ、これ以上無い傑作。
 戦争映画史の、ADとBCを分ける作品。





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