『プリティ・ウーマン』
エドワードがヴィヴィアンを「囲ってあげる」提案をしてヴィヴィアンが傷つくシーンの残酷さ。貧困ゆえ性産業にまで追い詰められた女性、それを「自己決定」だと雑に言ってのける男たち、構造化された性差別。エドワードの無意識かつ激烈な仕打ちに絶句する。私がヴィヴィアンだったらここでエドワードを蹴り倒して部屋を出て行くだろう。
エドワードは何が問題だったのか理解して悔い改めたのか?あんな一朝一夕に人は変われるわけなかろう…と思うのだけれどそこはフィクションだしな、と大目に見るならば、この映画は「シンデレラストーリー」どころか、「収入以外に何の魅力もない男性が、聡明で超絶寛大な女性に魂を救われた」点が物語の本質ではないか。最後のヴィヴィアンのセリフが、すべて。
でもエドワードがあの弁護士にヴィヴィアンの素性をバラしてしまったことで、ヴィヴィアンはこの先、エドワードが生きる世界で平穏に暮らしていけるのか、とても気がかり。
ちなみに、オープニングでエドワードが車を走らせてるときの曲が好き。