なんだか当たり前過ぎて最近まで見過ごしていたけど、構造の問題として捉えるのでなく個人の糾弾にばかり焦点を当てる方向に行っちゃうとそれはそれで「全ては個人の問題であり社会の問題など存在しない」という自己責任論論者と同じになっちゃうので難しい。もちろんそれは差別主義者やハラッサーによる罪を批判してはならないという意味ではない。それはそれ、これはこれ。
自分が安易に「分断」という言葉を使いたくないのはまさに今回のTRPのような使い方をする人々がいるから。敢えて分断という言葉を使うならTRPの姿勢こそ「分断」を招きかねないんじゃないか。
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