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結構話題になっていたので、気になって『ダイヤモンドの功罪』を3話まで読んでみたけれど、なんかもういいかな……。自己満足のために子どもを利用し傷つける大人たちのクズさもきついけど、傷つけられた子どもが今度は傷つけた大人ではなくて、綾という子どもを傷つけ出すのが見ていられないくらいにはきつい。
まさか、「他人の才能に自己実現の夢を仮託する大人の醜さ」が綾の「罪」のつもりだったりします?

タコピーのときと同じ嫌さがあるな……。

「天才に狂わされる凡才or秀才」から感じる嫌さ、「天才から一方的に被害を受けた側」という認識があんまり好きじゃないからだなと気づいた。特に天才の方が子どもだったりすると、「両者の権力差とか、環境要因とか、そちらを重点的に考えてほしいが……」と強く思ってしまう。

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