モテたいとは思ったことないけど、誰かの特別になりたい1番になりたいとはずっと思ってたな。広く一般に言えるかは分からないけど。境界線ゼロでメリメリ踏み込んで投影してくる人しかいなくて、私自身を自分と同じかそれ以上に愛してくれる人がいなかったんだよね…家族と出会ってから底なしの孤独と不安に襲われることがほとんどなくなった。(なんかみた)

親から無償の愛をもらえるはずだという神話があることも、実際にもらった人がいることも悪影響だったと思う。せめて親から無償の愛をもらえることなんて超レアだよもらえた人はラッキーだったねって風潮だったらあそこまで切望しなかったかもしれないというか…みんなが幼少期に得たはずのものを得られなくて歪んでしまった自分と取り返すことができないことの絶望みたいなものが、実際に得るものと同じくらい大きかったかなあ。

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思い出した、よく言ってたのは「私の番はいつ来るの?」だった。親子関係が逆転してるってそういうことで、子どもが親に対して本来親が子に与えるようなものを与えてしまって、でもその子の番はいつまでも来ないんですよ。親がそんなだから。そういう家庭で育つと常に顔色を見てご機嫌取りをするようになるから、それを都合が良いと思う人しか寄ってこなくて無限ループして、大人からも扱いやすい子と思われて我慢を強いられ、いつかは回ってくるはずだと思った自分が愛されるターン、自分が優遇されるターンが永遠に来ないんだよ…。だから別に私にターンをくれるなら性別とか年齢とか心底どうでもよかった。

だけどまあ一般に考えてってことでいえば、こんな友達がほしい…と話したら「それは友達ではない(友達を超えた関係)」と言われたことがあるので、普通の人は大人同士のそれを恋人と呼ぶのだろうなと。私はそもそも友情と恋愛の違いがないタイプだからそうなったけど、「常識的なシスヘテロ」ならそれがモテにシフトしてもおかしくないんだよなあとは思う。このへんでこの話は終わりにする。

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