私が中学生の頃に、学校教育「体育」で「創作ダンス」が必須になったんだけれど、あれは教師も良し悪しの評価が適当だったのでは……と韓国のMVを観ると思う……。

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「創作ダンス」でぶっちぎりで評価された友達(同じ美術部だった)は、弁護士の子どもで、宝塚観劇が趣味の子だった……。その頃は「文化資本」という用語を持ち合わせていなかったが、いきなり「ダンスを作れ!」と言われたときに、見せるダンスを知っている子は強いなと思いました。グループ学習で、私個人は苦手だった……。

「リーダーと目される子」というのは、中学生くらいではハッキリわかった。あれは、なんなんですがね……。オーラが違う……。

私は、いまも、オーラはなく、愛してくれる人を大切に、ゆっくり生きて行こうと思います……。拡大再生産を目指さなくていい。親愛を深めながら、生きていけばいい……。

日本の体育とか芸術の教育は「とりあえず自由にさせてみる!」なのだけれど、歴史的な型を使う教育がなされないのはもったいないと思います。

「自由に作る!」というのは、謂わば熟達者の境地で、初学の者は型から入った方が「自由」を発揮できやすい。野放図な「自由」は、むしろ陳腐を呼ぶのです……。

俳句でいえば、作者の言いたいことが過剰に修飾されると、読者の味わい、味わえる領域を削ってしまう。読者を鋤き込むように書く書き方を、私は良しとします……。

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