村上靖彦著『客観性の落とし穴』(筑摩書房、2023)読了。

歴史のなかで「自然の探求」がまず生まれ、やがて「客観性の探求」と同一視されるようになった。そして、自然だけでなく社会や心理までもその尺度、数値化で考えられるようになった。その末に一人ひとりの経験の重さが削ぎ落とされてしまう……。
数値至上主義ではリスクが計算され、個人のリスクマネジメントという名の自己責任論に帰結する。数値が支配する社会では、人間を役に立つか立たないかで切り分け、能力主義が生まれ、やがて優生思想につながる。
では、個人の経験を復権するにはどうしたら良いか。
本書では「語り」を重視し、「生き生きとした」「生々しさ」「切迫した」経験を「語り」のなかから捉え、統計の外から眺めることで「偶然を飼いならす」。「現象学」の思考によって、「経験の内側からの視点」を得る。

《個別と偶然を擁護したときに、人は序列による縛りから解放される》

「ちくまプリマー新書」らしい平明さのなかに、現代社会の行き詰まり、人々の生きづらさへの洞察がある。既に草の根で進行している具体的な打開策も垣間見せてくれて、良書でした。

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「お気持ち」ね。あなたも気持ちを表現してごらん。気持ちは、蔑ろにされるものではないし、「理性」と不可分だよ……。

なんでもかんでも分節できると考える方が間違いで、にゅるっとつながっているところで、話し合えたらいいね……。「心身」だって、そういう二元的なものがあるわけではなく、にゅるっとつながっているんだよ……。

「究極的な本質は一つ!真実はいつも一つ!!」というのは、もはや科学的でない誤謬です。
「エビデンス」が測れるものは、全てではない。むしろ、公的に利用される「生産性」に回収されたりします……。

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