私は「修繕的正義」という概念が好きです。人は生きるのに様々なほつれができる。人と人との関係もまた。
「ケアの倫理」では、それを繕いながら生きていくことに「正義」が宿るのだと。
マッチョな自立主義だと、自分のことも他者との関係のことも繕えない。「セルフケア」という言葉は、ときに「自分を律せよ。そして社会に適合せよ」みたいな逆さの意味で流通しがちですが……。だけれど、ほつれができたらゆるゆると休み、回復を待ち、ときには繕い、以前とは違う景色が見えるようになっても、社会に完全に適合できる形とならなくても、ゆるゆると生き継いでいく。そんなイメージを私は大切にしたいなと思っています……。
自立主義のマッチョさは、この社会に生きる多くの人の規範になっているんですよね。背景に男性中心主義があります。
自分一人だけで逃れるというのは、それはそれでやはりマッチョイズムなので、みんなで少しずつその構造を打ち壊しながら、あらたに繕い直しませんか、と。繋がって、切断して、いびつでも、よりそれぞれ個々が生きやすいように……。