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私は哲学の本を読むのが好きだが、自立主義で社会モデルのない哲学者も少なくないなと思う。「俺が、俺で、俺を、俺的に」みたいなマッチョな自立主義は、科学的態度ではないし、閉じているなと思う……。

「俺が、俺で、俺を、俺的に」みたいなマッチョな自立主義は自己啓発本で顕著で、最近では「自己肯定感を自分だけで上げるには」というのが流行っている……。「社会に働きかけるなんて無駄」みたいなところが、自己責任論的なんですよね(「自分で自己肯定感を上げられないなら、虐げられて当然」みたいな感じ)……。
そんなね、個人だけに責任を背負う必要はないんだよ……。社会に公正をもたらすべき責任がある人に「お前ら御しやすいな!」って思わせなくていいんだよ……。「迷惑かけちゃ駄目!」って思いすぎなくていいんだよ……。

私は「修繕的正義」という概念が好きです。人は生きるのに様々なほつれができる。人と人との関係もまた。
「ケアの倫理」では、それを繕いながら生きていくことに「正義」が宿るのだと。
マッチョな自立主義だと、自分のことも他者との関係のことも繕えない。「セルフケア」という言葉は、ときに「自分を律せよ。そして社会に適合せよ」みたいな逆さの意味で流通しがちですが……。だけれど、ほつれができたらゆるゆると休み、回復を待ち、ときには繕い、以前とは違う景色が見えるようになっても、社会に完全に適合できる形とならなくても、ゆるゆると生き継いでいく。そんなイメージを私は大切にしたいなと思っています……。

自立主義のマッチョさは、この社会に生きる多くの人の規範になっているんですよね。背景に男性中心主義があります。
自分一人だけで逃れるというのは、それはそれでやはりマッチョイズムなので、みんなで少しずつその構造を打ち壊しながら、あらたに繕い直しませんか、と。繋がって、切断して、いびつでも、よりそれぞれ個々が生きやすいように……。

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