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マイノリティーばかりが許し、許される快楽を差別者に与え続ける構造を、私は良しとしません。
許さないことが自分自身の囮となることもあるでしょう。それは、自分との闘いです。それは、それ。彼を許さないことは私の中の何をも脅かしません。
許さん!!

社会には「許される」物語ばかりが溢れていて、「許さない」ことは克服すべきとされる。
なぜですか?
マジョリティーが許されることばかりを汲み取り、マイノリティーばかりに「寛容」を求めてませんか。「マジョリティーを許さないのはマイノリティーが悪い」と。
差別者は、差別して、謝る甘美を享受して、差別された者から許されて、社会から称賛される。
そんな構造に、私は背を向けます。

「許さない」は心の全てを占めません。私は私の楽しいや美味しいや幸せを、しっかり実あるものとして感じますが、同時に許さないこともできます。数量的な配分ではない。私が彼を許さないことは、私の幸せを減しません。
許さないことに罪悪感を持たなくていい。

私達には「許す」勇気があるのです。だからこそ、「許さない」意志を通せる。

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