田野大輔 ・ 小野寺拓也【編著】 香月恵里 ・ 百木漠 ・三浦隆宏 ・ 矢野久美子【著】『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』(大月書店 、2023)読了。

ベッティーナ・シュタングネト『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』は、「歯車」「考えることを放棄」「他人の言うなりにやり過ごす」といった「街場」のアイヒマン像に決定的なダメージを与えた。この世に存在する彼に関する資料を博捜し、自覚的なアイヒマン像を徹底的に裏付けたのだ。
果たして、ハンナ・アーレントの説いた〈悪の凡庸さ〉は、改訂すべき表現なのか。この問題を巡る歴史研究者とアーレント研究者とでは、見解が異なる。本書では、それぞれの論を並べた上で、両者の討論が記録される。
アーレント研究者は、シュタングネトの見解はアーレントの見解を覆してはいないのではないかとみる。
一方で、歴史研究者からは「〈悪の凡庸さ〉ではなく、〈悪の浅薄〉と改めるべきではないか」と提案がなされる。
両研究者の視座が交差する興味深い討論であった。
歴史研究者が〈悪の凡庸さ〉という言葉が、一人ひとりは凡庸な人間だから悪くないんだという歴史修正主義的な意味合いを込めて使われるケースが目立つようになってきたこと。ある種の価値相対主義が蔓延していることに警鐘を鳴らしていたのも印象深かった。

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本書から得られるアイヒマン像は、「歯車」ではないが、非常に虚栄心の強い姿で、「凡庸」という語彙を使いたくなるのもわかるな、と感じた。出世と自己演出に過剰にこだわるさまは滑稽であり、極めて俗物的だと感じた。
なので、語彙を改訂するより、指し示す意味を逐一訂正するのがいいと思うし、本書の意義もそこにあろう。

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