というか、この秋元康隆なる学者が微妙なのかも……。

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秋元康隆『いまを生きるカント倫理学』(集英社、2022)読了。
あまり良い読書体験ではなかった。

著者は、病気で半年後の生存率が50%の87歳の女性が延命を望んだために、唯一の肉親である55歳の娘が貯金や家を手放し、付きっきりで介護した。その母親は結果的に2年生き長らえた、という事例に対し〈少なくとも私個人としては、自分が徐々に衰弱しながら一、二年生き長らえることと、自分の子供の人生を狂わせることを天秤にかけたならば、 子供の人生を優先させます。 カントのいい方によれば、そのような生き方こそが尊敬に値する、または、より強い義務づけの根拠 (二つ以上の義務が拮抗しているように見える状況下でどうするべきかという議論において出てきた表現) を見出します〉と書く。
これは倫理学的な「滑りやすい坂論」だ。そうではなく、娘をスッカラカンにしてしまう社会システムを批判すべきなのだ。ひとに「迷惑」をかけないように死ぬ価値観は危うい。

また、難民は「貧しい国から来た貧しい人々」で、あまり教養もないのではないかと思っていたが、彼らに会ってみたら優秀だった、というエピソードが書かれているが、能力主義的な逸話だと思った。

自分が書いている「自分でどうにかできることと、そうでないことの区別」への理解が浅いと感じた。

カントそのものに「自由意志」の縛があり、それによって導出される「責任」への現代的な批判が浅い。
カントはもういいかな、という気にさせられた。

実はこの前に御子柴善之『自分で考える勇気 カント哲学入門 』(岩波ジュニア新書、2015)も読了した。こちらは学べるところもあったが(特に5章)、カントの理性中心主義のマッチョさは私には合わないなと思った。

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