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長いので折りたたみ。父から聞いた話。8/15北部九州の田舎で「玉音放送」が流れた日の聴き起こし(父自身は未就学児童でした) 

78年前のこの日は東京では晴れてたが、こちらは昼前から雨が降っていた(九州北部は8月に入ってから天候が優れない日が多く、8/9の長崎原爆投下も実際の目標は小倉だったという。その日小倉上空は曇っていた)

2、3日前から8/15に大事な放送がある、と町内でお触れが回っていたそうだ。近所でラジオを持っていたのがウチだけだったこともあり、大勢の大人たち、近所の友人と一緒にその時間が来るのを待っていたそうだ。

件の「詔」を聞いたとき大人達は土下座したり頭を下げたりしてはいなかったようだ。涙はなく、ただ溜息だけが漏れていたという。
皆、薄々敗戦を感じていたんだろう。こんな田舎にまで機銃掃射されてたし(実際父は田んぼの畦道を歩いていた際、機銃掃射に追いかけ回された経験がある)父はよく聞き取れない変な声がラジオから流れているだけ、としか思わなかったそうだ。

ただ終わったということだけは分かった。45歳を過ぎたにも関わらず6月に招集され、久留米の駐屯地にいた祖父が帰ってくるだろうことだけがわかって嬉しかった、と話してくれた。

写真は8/8の小倉市内の写真から

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