人間は自分の役割に応じて、人格も変わってくる。研究もされているし、映画にもなった話がある。囚人役と看守役の2つに役割を分けて、模擬的な実験したところ、最初は冗談でやっていたことが、次第に当然になってゆく。その積み重ねが、最終的に自分の人格として定着してしまう。その役割に応じた人格になってゆく。
どのような役割を創り出すか、そして、その存在を許容するか、は大切なことなのに、結構、いい加減だったりする。その積み重ねが社会のあり方だったりする。そう考えると、現在の社会は、なるべくしてなった醜態の塊のように感じる。現実社会しかり。ネット社会しかり。
私は、もともと厭世的な人間だと思う。他人の醜態や無礼さに対して、あまり寛容ではない。社会の腐敗など、受けいられようハズがない。最近、ようやく、それらに対して無関心でいることを覚え始めている。関心をもつ価値がない人種もいる、と考えている。