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社会運動、活動のたぐいは、見ている限り、成功し規模が広がるにつれて青天井に人生の全てを満たしてしまうことがある。そんなに多くはないけど。でも冷めた目で見た瞬間はひやっとおそろしい。人生全てだから。
一分野で大改革を勝ち取った大偉人だけでなくて、今身近にある、地域の、小さなコミュニティに参加するのが望ましいのだろうなと思う。
引きこもりの病人にはハードルが高い

政治に関して建設的なことを言いたい、思う事はあるけれども言うべき言葉を書き出せないのは私の勉強不足だと思う。
不満や糾弾めいた繰り言のみをwebに書き散らしても仕方ないので(飲み屋トークとかならいいんだけど)

ねこはね、ねこは、ねこは、ねこは、ねこは、ねこは、ねこは、ねこは、

マスクをポチった すっぴん隠しまくり

ねこちゃぴょん ねこ ねこちゃ ねこちゃぴょん ふわふわ

ふわふわのねこちゃんがいます。

人に宅配を送ってきたので、事故なく無事にお手元に届くといいな。ねこちゃんのチョコだよ。

ついったのほうでまたお見苦しくしてしまった。
用事を済ませてきて少し平静が戻ってきた。
今日はもう家で暖かくしておく。ストーブつけて、お香を焚いて、でも飲み物は大好きな炭酸水。
しゅわわー

yu_eu さんがブースト

通院帰りに買ったお弁当のだし巻き卵がふわふわで美味しくて、うれしかった。

今ニューロダイバシティーに関心のある人々は、あるいは発達障害者たちは、どんな規模感の連帯を、目標地点をどこに置いていくのがいいのだろうね
と考えたり、ひとの言葉を探したりする

じゃあそれが当事者以外の人に影響与えられなかったし主要メンバーが卒業したからすっかり出来の悪い活動だね!と評価されるのだろうなと、長年悲観的に考えていたんだけれども
会社で働いたり、(同人関係で企画したり企画に乗っかったりしてるうちに)、予測を立てた規模感の人数期間予算etcを達成していればじゅうぶんに成功といえなくもないね、と思えるようになった

あー むかしばなし
学生時代にとあるごく小さな範囲で当事者活動を企画したことがある。仔細は書けないが成功体験も失敗体験もあり……というのも私は勢いだけはいいが、実務能力と健康と人望に欠けていた。それって全てじゃないか!と思うが、人が集まると各自の力が発揮されるものだ。強い活動でもなく、長くも継続しなかったが、私が卒業するまでのあいだわずかばかりでも形を保とうと頑張っていた、ということがあった。
というのを思い出した。

頭の中にねこちゃんが帰ってきた

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