例えば『特別な感情を互いに抱いているふたりが ラストシーンで手を繋いだ』という物語を「ネタバレになるから詳しくは言えないが、ポスターの金髪天使(性悪)と黒髪美少年(ツンデレ)が実質セックスしてた」と過剰包装した場合 履修済勢は「手を繋いでいたこと」「両片想いのふたりがすれちがいながらも相手のことを想い続けていたこと」に「セックス」を読み取り「あれは確かにセックスしてた!」とか「感想強くて面白いな〜」とかで盛り上がるわけで 未履修勢の一部はその盛り上がりを見て「このふたりがセックスしてんの!?見に行こ!!」と 盛り上がりの内容を期待して映画館に行くから 齟齬が生まれるんだよな〜…… 全年齢向けだからセックスというのはオタクの妄言だろうな、とは悟りつつもそういう感想を抱いたツイートが1万以上RTされてるんだから 多少はいちゃいちゃしたんだろうな〜、とは 期待するじゃん…… 実際に映画を見てみたら「セックスはまあ、してないとして…… いちゃいちゃもしとらんかった…… そもそもそんなにふたりきりのシーンもなかった…… というかあのふたりは恋愛的な目で相手を好きでいるのではなく 深い友情を抱いていたからこそあんなにすれちがっていたんだし 最後は和解の証として手を繋いだんじゃん……」と死ぬほど盛り下がる
「ネタバレになるから詳しくは言えないが」と前置いて述べられる映画の感想がマジで好きじゃなくてTwitterでは結構前からワードミュートしてるくらいなんだけど なんでかな〜と詳しく考えてみたところ 「ネタバレになるから詳しくは言えない」と前置くことで 未履修勢へのツイートであるように見せながら(あるいは本人もそう思い込みながら)実際のところは履修済勢の盛り上がりのためのものだからかなと思った
推理小説や金田一少年の事件簿を読んでいる時の推理パートで「犯人はここで、〜をしている」「つまりは、犯人には〜をする理由があったということ?」「ああ、そう思わせることが犯人のトリックだったんだ。本当は〜」みたいな 流れ なるほどね……みたいな顔して読みすすめているけど実はなにひとつ理解できていません