Twitterは、FBやインスタに比べて「裏通り」な感じがあったのだが、マストドンと比べてみると「表通り」っぽく印象が逆転する。表というか、民放テレビみたい。ネットの従来持つアングラ感がずいぶん薄まっていた。
駄文だろうとなんだろうととにかく書き残すこと。それらはすべて「歴史」となり、後世の人々が生を希求する際の参照物となる。その瞬間に、かつて歴史を書き残した「私」はまた生き返る。あるいは(歴史として)ずっと続けてきていた生存に、光が当たる。
オーウェル『1984年』の中で、主人公ウィンストンは独裁者が禁じた「日記を書く」という行為を通して、未来に可能性を残そうとしていたように思える。残念ながら書き始めた時点から彼は「死(もしくは消滅)」を運命づけられたわけだけど、それは肉体的なものでしかない。
書き残すことはおそらく「終わり」よりも「始まり」を意味するのかもしれない。書き残し、それをきちんと「過去」にすることが、まわりまわっていつしか「現在」や「未来」になる。だから過去を奪われてはいけない。誰のどんな記録も、記憶も、意味を見出す人がいる。
トキューサ、ビッグクラブからオファーあるな
#鎌倉殿の13人
浅生鴨さんが他誌に寄稿している短編がこれまた良いのであるということを言いたい|ジンノ・ヒロノブ @tsurutsurukichi #note #推薦図書 https://note.com/jinnobu/n/n5e596a0b64b0
浅生鴨さんが編集した本も素晴らしいのである|ジンノ・ヒロノブ @tsurutsurukichi #note #推薦図書 https://note.com/jinnobu/n/ne799278b4adf
浅生鴨さんの著作は素晴らしいということを言いたい|ジンノ・ヒロノブ @tsurutsurukichi #note #推薦図書 https://note.com/jinnobu/n/n2c3d3fab2def
しかとみている