これの続きはこっちの垢でいいと思うけど、
男性がイキるには普通は権力が必要で、ここでイキってるから権力があるという逆のルートもなくはないが相当抑圧がある。でもそれを気合で成立させる男もいる、というイメージ
イラスト、というか女性表象が関わるところには、ヒステリー的隠喩の倒錯的還元、みたいなものがあるんですよね
おっさんとかオタクのキモさはそのへんにあり、それへの反発はたまに燃えてる
不謹慎だけど、自分は頑張ったから、という大学生を一週間くらいB型作業所に一人で行かせれば、なにか真理を悟るのではないだろうか
『構造と力』、まじで僕がなんとかしてほしいと思ってる領域に1mmもかすらないで駆け抜けることで、逆説的に指針になったわけわからん本
「近代社会はそれ自体カオスの吸収装置とでも呼ぶべき仕組みになっており、侵犯のエネルギーをなし崩しに回収してしまう。カオスの噴出による祝祭的革命というイメージは美しいが、ひとたび脱聖化された社会に祝祭の興奮を呼び覚ますことは絶望的に困難である」
という感じの文章があるのだが
カオスの噴出や審判に十全に幻惑などされないが、かといって脱聖化された社会に積極的にコミットする気にもならず、自らに立ち止まるしかない主体、というものは想定していないのだろうか
10代くらいの頃を思うと、ある意味で僕のことをわかってた(そして敵になった)大人たちは、「そんな我執は何も良いことないんだぞ」というだけのことを言っていたのだと思えるようになった