井澤さんのインストで広大さんの弾き語りがリンクされてて、胸の奥のシデレウスの亡霊がひと騒ぎした
「私は他の紛争地帯でも活動したことがある。しかし私がこのあと10日間に目撃したものは戦争ではなく殲滅だった」
「ガザ南部に入った時はまるでディストピア小説の最初の1ページのようだった。
絶え間なく飛び交う監視用ドローンの羽音で耳は麻痺したかのようだった。まともな衛生環境もないまま近隣に住む避難民100万人の臭いに鼻は酷使された。果てしなく連なるテントの海に目は見るものを失った。
我々はラファのゲストハウスにいた。到着初日の夜は寒く多くの者は眠れなかった。我々はバルコニーに立ち、砲撃音を聞きカーン・ユニスから煙が立ち上がるのを見ていた」
「多くのパレスチナ人は病院が暴力から逃れる聖域であることをに希望を託し病院を目指した。
彼らは間違っていた」
「多くの医者は殺されたり逮捕されたと聞いた。彼らの居場所はおろか生存さえも不明であった。ここに居る外科医はたった1人で、昼夜休むこともなく病院をまわしていた。妻と娘が生きているだけ彼は他のスタッフに比べ幸運だった」
「私は1日に10〜12回の手術を行い、毎日14〜16時間勤務した。手術室は爆撃により絶え間なく揺れていた」
「我々は南北戦争時代に使われていたような有刺鉄線を利用したノコギリを使い毎日腕と脚の切断種術を行った。ごく標準的な医療設備があれば多くの切断は避けられただろう」
「私は手術した孤児達の人数を数えるのをやめた。誰が彼らに世話をするのか、どのように生き残れるのかわからない」
「滞在最終日、私のところに男の子が走ってきてプレゼントをくれた。海岸沿いの石にアラビア語で“ガザから愛を込めて。痛みはあれど“とマジックで書かれていた」
「何百万人もの人達がこの悪夢に耐えることを強要される中、自分はその場を去ったことに信じられないほどの罪悪感を抱いている。アメリカ人として、私の患者達を傷付けたであろう武器のために私達の税金が使われる事について思いを馳せる」
バージニア在住の形成外科医が医療支援活動に参加してガザに入り目撃したこと。
翻訳アプリで全文読んで欲しい。