これは、あらゆる障害者が「不自由」と感じるものごとの本質なのだが、生活において健常者とは異なる「他者の手を借りなくてはならない」状況が何よりストレスなのだ。駅員にお声がけくださいとかスタッフがお手伝いします、とか、それはたしかに解決の手段で、健常者側からは数百人に一人の割合で発生するだけの業務かもしれないが、障害者本人にとっては、日常生活の一から十までが「他者の手を煩わせる」行動になってしまう。そのストレス、というのはもっと想像されてほしいと思う。
#StopGenocideInGaza
イスラエル軍、ガザ北部の病院を急襲 医師4人を殺害と目撃者
CNN 2024/12/07 https://www.cnn.co.jp/world/35227047.html
好きなものはなるべく自分の中で大切にしたいから、あまり細かく言語化したくないんだけど。そこに同じものが好きな他者が介入すると、そうもいかなくて。
『多数派の好き』と『自分の好き』が違う時に、多数派は無自覚に『自分たちとは異なる視点』を除く…という傾向があるように思えて。特に女性だと多く…。
例えば推しを恋愛対象やアイドル、神のように拝むような多数派の前で『この人は一見完璧に見えるけど、どこかひび割れた器のような趣き深い人間くささがある』なんて自分の好きなところを話してしまうと、傷や欠点を指摘されたように思われて、そういう視点もあるという許容ではなく『合わないからもう見ない、もしくはおかしいので多数派に正させる』という感じになったりする。
だから否応なしにというか、あらかじめ予防線を張る的な意味で言語化せざるを得ないケースも、結構あるかもなって。本当に喋りたくて言語化してるときもあるけど。
ガンダムと料理が好き
成人済み
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