映画や本のコピーに「泣ける」をむやみに付ける問題、もう長い間ずっと気になっている。そんなコピーが付くことが常態化しているということは、それを嫌がる人の声よりも、好意的に受け止める人の声の方が大きいということなのだろうか。
自分の頭で考える事を放棄して、誰かが言っていることをそのまま「自分のもの」にしようとする人が多くなったと感じる昨今だが、鑑賞したり読んだりする行為の中で自然に湧き上がってくるはずの自分の感情まで「誰かが言っている『枠』」にはめようとする人が増えたということなのかもしれない。
大げさかもしれないけれど、考えることも感じることも「他の人がどう言っているか」をまずは参照してからにしたいと望む傾向、かなり危ういのではないかと思ったりする。
右翼のみなさんの間でときどき出回ってる教育勅語の12の徳目なるもの、そもそも出所が不明で(明治神宮のサイトには載ってるけど……)その時点でアホ臭い感じが溢れているのだが、これ、勅語の中の徳目を並べてるセクションで「常に国憲を重んじ」だけが露骨に無視されてるんだよ。おれは(ほぼ)暗唱できるからすぐわかったぞ。
まあそりゃそうだよね。日本国憲法は右派のみなさんには滅ぼすべき大敵だから憲法を重んじられたら困るわけだ。教育勅語中の憲法は日本国憲法ではなく明治憲法なわけだからむしろ筋が通ってると言えば筋は通ってるんだけどね。でもそれじゃあ「現代でも通用する」とか「民主主義的」とか言えないよね。イデオロギー出しすぎよ。
赤城の山も今宵を限り