ちょっと昼間の続きだけど、みんな「これ何?」と思いつつ曖昧なまま放置してることなんてたくさんあるわけじゃん そもそも全てを知るなんて不可能なわけだし なのになんでマイノリティの権利になるといっちょかみしたがる連中が湧くの? いっちょかみしたがる時点で差別なんですけど〜 知った上でそういうもんなのね、で終わりでいいのよ
btと一連のスレッド、わかる。
「知ってもらわなくてもいいしわかってもらう必要もない、そもそも自分に〈知る〉権利があると思っているらしいところからして気に食わない、そんなのは全部どうでも良いから、奪っていった人権を、生存の権利を、黙ってとっとと返せ」というのは言うべきだし、実際これまでから言ってきたんじゃないかなあとも思うけど、それこそ届きづらいというのは確かにあるなと。
あらかじめ「問題」の「当事者」から直接不利益を被りうる人たちが想定外として外されるようなことは繰り返されているわけだし。https://x.com/selfishprotein/status/1277024089996095490
それに近いことをSara Ahmedが_Strange Encounter_ (2000)で書いていたような。(うろ覚え)
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あと私は多分、特定の集団についての知識や表象が十分にあれば、特定の集団の複雑で多様な現実が知られれば、その集団を構成する人々は人間と認められ、人権を認められるようになるだろう、とは必ずしも思っていないです。
勿論そういう回路で「認められる」ようになる人もいるだろうし、個人的には「あんた何それ」と思うけれど、でもそれでも現時点で少しでも味方を増やすのは大事というのは、よくわかる。
ただ、歴史を振り返っても、何世代にも渡って同じ地域で暮らしてきた隣人が隣人を殺したりするんですよ。マイノリティに属する人々の複雑で多様な現実を見ていたはずの人が、それに積極的に目を瞑って、マイノリティ集団への攻撃に加担していくんですよ。
なんとなく、「知ってもらう」だけではやはり圧倒的に危険なのではないか、という気がして仕方ないです。
それより強いのはおそらく、水上さんの最初の「前提」に戻って、「この人々は存在しており、人権を有している」に依拠することじゃないかと思いたいのですが、でもそれもただの願望に過ぎないよねというのはわかります。
愚痴なので特にまとまらないんですが。
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そんな甘ったるいことを言っている場合じゃないんだと思う。思うけれども、それでもやはりどこかで、「知ってもらわなくてもいいしわかってもらう必要もない、そもそも自分に〈知る〉権利があると思っているらしいところからして気に食わない、そんなのは全部どうでも良いから、奪っていった人権を、生存の権利を、黙ってとっとと返せ」と言いたいよね、言えたら良いのにね、とも思う。
私たちが知るべきなのは、あるいは知らしめるべきなのは、複雑で多様なマイノリティの現実なのだろうか。
例えば私たちは自分と接点のない職業についている人々の複雑で多様な現実なんて一切知らないけれども(例えば株のトレーダーとかどういう経緯で誰がなるんだろう?)、その人たちが存在していることはわかるし、人権があることも普通は了承している。
なぜ特定のマイノリティについてだけ、その「現実」を知らなければ存在を了承することも人権があると認めることもできない、という話になるのだろう?
なぜ特定の人々については、「差別解消」の前に、「理解増進」が必要なのだろう?
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いや実際に絶望的な状況なのだろうと思います。
でもなんというか、だからそれって絶望的ですよね?
とりあえず、「相手について〈知〉らなければ相手を人権の主体と認められない」「特定の人々に関する知識と表象の不足のために、その相手を人間として認識することができない」という人々が社会(のもしかしたら多数派を)を構成しているというそのことの、絶望的なありえなさも、私は嘆き悲しみたいのです。
勿論、2018年当時から矢面に立って「トランスに関する知識の普及」に尽力してきたアクティビストの人たちからみたら、そんなところで嘆いたり悲しんだりしてるなんて良いご身分だねという感じだろうなとは思います。
実際にそうなのだろうし、だから「知識の普及」に尽力してきたアクティビストの人たちのやってきたことが違うとか、勿論今回の水上さんの戦略が違うとか、そういうことではないです。
ただ、その裏で、でもやっぱりこの戦略、こういう議論の立て方をせざるを得ない状況というのは、本当に根本的に胸の底が抜けるくらい悲しいことだよね、と私は思います。
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ノンバイナリー /反差別