特定の作品や界隈の話ではなくて私が感覚としてぼんやりと持っているものなんだけど、広く公開する、という形って、その分かなり雑な「消費」としての楽しみ方をされるのが避けられないところがあると思っていて、そしてそれがジャンルとして大きくなっていけばいくほどその雑な消費の仕方が正義になっていくんですよね。繊細なもの、モヤモヤを抱えて欲しいはずの作品でも、エモとか萌えとか(を完璧に理解しているわけではないんでズレてたらごめん)による瞬間最大風速なカネの動きが正義になっていくというか。「うちらがコンテンツを回してる」という、ファン=カミサマ的な感覚の強化に繋がるのある。ファンダムの話をしています。うーんうまく言えないな。
https://www.cinra.net/article/202308-nextsohee_gtmnmcl
トガニ思い出すな〜って思ってたけど、実際にインタビューで触れられてた 韓国の人たちが日常を政治的に捉えることに慣れているっていうのめちゃくちゃ羨ましいんですが
ノンバイナリー /反差別