ゲ謎すごく好きなんだけどさ、一個だけ猛烈に未練が残ってるのが沙代さんがりゅうがの家から解放される場面が描かれなかったことなんだよな。最後に救いと解放があったってのはわかるんですが、そうじゃなくて「家からの解放」がほしかったんよ。
でもね、見返してみると、この未練が発生してる原因ってまじであのセリフひとつだけなんですよ。「りゅうがの者として終わりにしましょう」っていうやつ。あれ、別にりゅうがの者としてやる必要なくない!?水木が知ってたってことで絶望してってところまではよいんだけど、そこで「結局私はりゅうがの女でどこにもいけないし呪われてるからこの家も私も終わりにする」じゃなくて「この家はクソだ、みんなクソだ」っつってあの暴走に突入したらダメだっただろうか…??ホントここのセリフを変えるだけでいいんだけど。そのあと沙代さん自身の手で水木を絞め殺しにかかるのも大好きだし、長田が最後に来るのもいい。
マジで未練はあのセリフだけなんだよー…。なんで「りゅうがの者として」なんだー。沙代さんが「みんなクソ!◯ね!」で全部ぶっ壊して全員ぶっ殺すでいいじゃないか…。
私は「轟→花岡」の重いくらいの熱い想いは認識していたけど、それを恋愛的感情を含むものだとは想像していなくて(とは言え、重いくらいの熱い想いは感じてたわけだから、腑に落ちた感じもある)。
でも、それはそれとして実を言うと私「よねさん→寅子」の方にそういうのを感じてたんですよね。
というわけで、今日の回を見た結果、やっぱよねさん寅子のこと好きなんじゃない?って思いが強くなってしまったのであった。
フュリオサ二回目見てきて思ったけど、もともとマッドマックスは伝説、神話の体裁だけど、フュリオサはそのなかでも特に「ヒストリーマンの語り」が強調されてて、これ事実じゃないところもあるんじゃないかなって思った。最後はほぼそういう体だし、イモータン・ジョーの手から逃げてウォーボーイズに混ざるくだり辺りとかも創作として見えるようにも作られているのかも。流浪のヒーローであるマックスと違ってフュリオサはあの地の権力者になったと思われるので、伝説、神話として語られる過程にフュリオサ自身の意志が入っていて、フュリオサにとって本当に屈辱的な部分は語られていない可能性があるんじゃないのか。
もしものとき用でしたがいまはここにいます
20↑/shipper/一応映画用/ジャンルは多分雑多になる…/まぐななとかMCUとかわんはりとかGOとかTGMとかD&Dとかざふぁとか/無言フォロー失礼します/雑談