考えが足りずによくわからないっていうか、前の労働のときは自分を守るために労働を悪でお金を稼ぐためにやむを得ずやっているのだと単純化するようにしていた、なぜならつらさの中のたのしさについてよく考えると自分のことあまりにかわいそうすぎてそれに耐えられなさそうだったからだと思う、しかしていま前職のつらさが一時的にかはわからないけどほとんど取り払われて、労働についてどう考えたらいいか、いまと前とで矛盾してるじゃんと思ってしまうため考えるのを永遠に先送りにして自分がいまの労働に慣れて前のこと忘れるまで何も考えない状態で待ちたいんだと思う でもほんとは前と今とは共通する部分もあるけど共通しない部分のほうが多いので、全然別の考え方になったって別によくて、そこで一貫性を保つ必要はないんだと思う 思うが
あのね こんなことてらいもなく書くのどうかと思いつつも、新しいおしごと、めっちゃたのしいのね 前のおしごとと使っている技術はそんなに変わらないけど同時にいくつもやらなくてよくなったし直接やりとりするステークホルダーもぐっと減った すごくシンプルになって技術にだけ集中できるようになったので素直にお勉強しよって思えるしなにより残業が本当に文字通りまったくなくなって時間があるの その時間を今は睡眠に使っているけどね…ほんとは何に使ってもいいその時間をしごとのためのお勉強に使ってもいいと思えている…なんて素直な社会の歯車なんだおれという人間は どうかと思った方がいいのかよかったねなのかは考えが足りずによくわからない…
生活をしていく 生活をしたいかといわれるとよくわかんないが少なくともいまの私にとってはなんらかの物語にあたまを溶かす方向性はちょっととりにくいみたいだ そうなると生活をすることが次にできることかと思う もしかしてこれが私もうやめた世界征服やめた今日のごはん考えるので精一杯なのかな…(相対性理論)あれはまた文脈が違うけれども…ていうかインターネットに書きづらいだけでいまの私にとって最も熱いコンテンツはどう考えてもおしごとですわ 昨日も丸一日おしごと関連の書籍を読みながら今のおしごとや前のおしごとについて考えていた そういうことや まだこの新おしごとというジャンルに足を踏み入れて2ヶ月 いまが一番ホットジャンルな可能性ある(それじゃ困るが)