東京と大阪の往復生活も、もう3年を過ぎた。などという言葉を自分で書くとは思わなかった。元来アクティブな人間でもなく、全国を飛び回るような仕事を避けて今までやってきたのに、人生はつくづく、自分の想定通りにはいかないものだと思う。
僕は旅行は好きではないが、逃避行は大好きだ。幼稚園を脱走して一人で家に帰ってきたり、中学生の頃に自転車や電車であてのない日帰り旅行を繰り返したり、大学の頃にバンコクの安宿で一日中ウトウトしていたのも、「あそこへ行きたい」ではなく、「ここにはいたくない」という思いが主な理由だったように思う。
観光地のような「非日常」にはあまり興味がなく、自分の事を誰も知らない世界で、毎日繰り返されている「日常」に潜り込むのが好きだ。特に何もない街で、どこにでもあるビジネスホテルのベッドに寝転んで、地方局の夕方の情報番組なんかを見ていると、次第に自分が解放されていくのを感じる。
つげ義春がボロ宿に好んで泊まる事を「自己の否定による自己からの開放」としたが、僕の逃避行も同じようなものかもしれない。
愛用してるフェールラーベンのG1000ジャケット、ずっと迷ってたけどだいぶ風が抜けるようになったので、今年とうとうワックスを入れた。パラフィンが入ってるのでシワができるのは仕方がないし、これはこれで味があると思えばいいかな。
2回入れたので、さすがに風と水をほとんど通さなくなって市街地ならこれで春まで十分、底冷えしても中にモンベルのライトダウンを着れば大丈夫。低標高のキャンプ地ぐらいなら十二分に対応できる。
山に登っていた頃はモンベル原理主義者で、ゴアテックスのみを信じて生きていたけど、街中でそんなオーバースペックなものを着込んでもしかたがないし、G1000のローテクな素材感や手入れの手間が楽しくて大事にしている。
年末ギリギリまで仕事が入ることが確定したので、ちょっと早い目に来年の準備を始めている。
生活ログに関しては5年ほど能率手帳を使っていたけど、色々な人の縁でまたトラベラースノートを引っ張り出してきた。
表紙に貼ったのは伏見稲荷の山上にある眼力社の御札で、数年前に偶然お参りしてから色々と仕事に良い波が来るようになったので、定期的にハイキングがてらお参りするようにしている。
10代の家族と暮らしていると、自分に外からの刺激が減ってきていことがよくわかるし、自分自身の心情もおいそれと動じなくなってきているので、なにか自分を変性させる刺激があれば、敏感に掴み取って受け入れていくほうが楽しいなと感じている。それが「縁」というものかもしれない。
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アーケードや路地は僕の原風景です。
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