この酷暑の中、地域の夏祭りが3年ぶりに敢行されるんですが大丈夫…?
スタートは例年通りまだ陽も高い17:00から。ステージでのキッズダンスや園児がやる子ども神輿、待機時間も入れれば暑い中を相当時間拘束されるけど大丈夫…?付き添う親は下のお子さんもいらしたりするけど大丈夫…?(涙)
あと当たり前のようにコロナ感染対策にはミリも言及されない。食中毒に関する注意喚起のみ(それはもちろん大事だけど)。夜店はたくさん出るけど、この暑さでの外の煮炊きでマスクしてくれるとは思えない…大丈夫…?(涙)
ちなみに子らが珍しく楽しみにしてるから家族全員で行きますけど!来年はせめて開始時間を遅らせて、幼児の出演は少しでも涼しい時間帯にしてあげてほしい。今さらだけど町内会長さんに提言してみよう…
「つまりね、発言にいちいち人気表示しながら短文をつぶやくシステムってのは、言論にパチンコのような射幸性の要素をまぜる仕掛けな訳で、だからまさにツイッターは文字通りインテリのパチンコなんですよ。」Quantum_Zen( https://twitter.com/Quantum_Zen/status/1003975992350670848 )
うちのお店は構造上、車椅子に乗ったままでのカット・顔剃り・シャンプーが可能なのでそれはすごく喜ばれる。お値段も当たり前なんだけど変わらない。
「こんな安く(カットのみなら1000円)していただいてありがたい」て言われるんだけど、車椅子の操作やヘッドマットの取り外し、体勢の入れ替えなどちょこちょことした介助もどきなことは、慣れれば別段ものすごく大変なことではないから追加料金をいただくのもねぇという感じで(うちの場合は)(何せ素人なので大して上手くもない。逆にすみません…)。
それより、別に車椅子でなくてもあれこれ大変なお客様というのはいらっしゃるわけで、もし追加料金いただけるというならそちらからの方がよほど、といった感じ。や、いただきませんけど😂
けれども、Twitter自体がこういう場→ https://gigazine.net/news/20230731-twitter-reinstating-account-child-sex-abuse/ になってしまった以上は、もう、端的に無理。使い続けることはできない。Full stop.
英語圏(特にアメリカ)では「こんなんになってしまったTwitterを、これに賛同しない者が使い続けること自体に、抵抗としての意義がある」という意見があることも確認しているが(私が見ている英語圏ではそういういわば「青臭い」話は出てもいない。Twitterはただのインフラで、例えばパレスチナの状況を英語でライヴツイートしている人たちは、そんなことはほとんど考えていないかもしれない)、そういうインターネット・ロマンティシズムはもういい。
失われたのは、ダニー・モリスンの発言と、ジェイミー・ブライソンの発言が一緒になってリアルタイムで流れてくるところに、シェイマス・ヒーニーの引用が浮かび、カイル・ペイズリーの聖書を踏まえたしゃれた発言が続いて、ドラァグクイーンの写真やらパブの宣伝やらが脈絡なく流れてくる中に、BBC NewsやBelTelのフィードが入っているような場。
だからね、「Twitterはもはや2ちゃんねると化してしまっている」みたいな発言を見ても、「お前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな」としか。
あなたの見ているTwitterと、私の見ているTwitterとは、絶望的なまでに、違う。すべてが特異値で構成されていたから、特別なものになりえた。私はハッシュタグGaza Under Attackを定点観測的に見る場としてTwitterを使っている。あなたはそれをきっと見ていない。
そういう場について、「Twitterは……」と一般化して、あたかも平均的なものがあるかのようにいう言説が横行している日本語圏のMastodonは、とても息苦しい。(私、日本語圏が嫌いなんだな。)
同じようにTwitterの崩壊というかマスクによる破壊を見ているはずなのに、私の見る英語圏ではそういう雑な一般化や「論」みたいなのがなくってさ、これ、以前日本語を含む多言語話者のスペイン人と話したことがあるんだけど、日本人って「論」が大好きだよねって、そういうことかな、って。
現在、自分の環境で、Twitterでないと情報が入ってこないとい分野は、第一にはパレスチナ。ガザ地区もだけど、ここ数年、急速にヨルダン川西岸地区とエルサレムの状態が悪化していて、その民族浄化を伝える大手メディアはほとんどないからね。「ガザ地区からロケットが」で即座に記事化する日本のメディア(特に毎日新聞)も、西岸地区での暴力はシカトぶっこいてる。
それから、シリア。イスイス団が暴れていたころに比べてSNSでの英語情報発信自体が減っているが(例えばラッカはイスイス団を追い出して以降は情報が出てこない。それ自体が憂慮すべきことであるが)、英語圏のSyria Campaignや日本のSSJ、現地のWhite Helmetsなどはメイリングリスト的にTwitterを使っている。大手メディアは、英語圏であれ日本語圏であれ、シリアについては、ほとんど取り上げない。
同様に、2011年の「アラブの春」の各国の情報もどのマスメディアもほとんど取り上げていないが、SNSで英語で発信しているところが激減してしまった。普段目にするのはバーレーンとシリア、エジプトのアラア解放要求くらいか。
Twitterがイーロン・マスクの支配下に入ってから、米国の人たちはずいぶん脱Twitterを進めていて、自分たちのネットワークを構築するのに使いやすいSNSをいろいろと使うようになっているみたいだが(大手以外にも本当にたくさんのSNSがある。日本語圏では知られてないけど)、そんなふうに「SNSを選べる」立場にある人たちとは別の世界に住んでいる人たちがいて、そういう人たちが外部に通じる窓としてTwitterを使っている。例えばガザ地区の英語話者たち。イスラエル軍の爆撃が始まると即座にGaza Under Attackのハッシュタグが流れてきて、それで現地の情報がわかる、というのが、Twitterのハッシュタグができて以来、常態となった。それと同時に、ガザ地区の封鎖はますますアレなことになって、「現地からBBC記者が伝える」ということもほとんどなくなっていて、AJEも支局がイスラエルに爆撃されているし、Twitterがまさに唯一の情報源、っていう。
8月1日はツイッターを使うのをやめよう、の運動が「なぜ」生まれたのかというところを知らないんだけど、イーロン・マスクが大量解雇を行いview数の表示化で競争を煽りヘイト投稿を “表現の自由” とし自身も差別発言を繰り返し “シスジェンダー” を「誹謗中傷」にし、と振り返ると、「なぜ今になってようやく?」と私は思います。
使い分けなんかしなくても、Twitterと他のSNSで全く同じ投稿をするでもいいし。私もまだ旧Twitterにアカウントはあるし、たまーに覗いたり投稿したりしていた。ただ、アクティブユーザーではいられない、というのはすごく強く思っていた。私はすごく染まりやすいので、絶対にこれが「当たり前」になってしまうだろうなって思ったから。今、旧Twitterだけを「戦う」という理由で使っているひとは、何か麻痺しているものがないか自問してほしい。もちろん違う場面では私が自分に問いかけないといけないこと。
8月1日だけ旧Twitter絶ちをする人がもしいたら、「それができる/それをしたいと思ったのなら、今後もゆるやかにでもそれができるんじゃないのか」と思ってる。
明日みんなが一斉にツイート解禁しちゃうと逆に総ツイート数やインプレッション伸ばしちゃうのでは、との意見を見た。うーん、確かに…15:59だ!ただいま!てやるのではなく、ちょっと様子見しつつタイミングずらした方がいいのかもしれない。うーん。
避難用アカウント。へっぽこ不良なクリスチャン。沖縄産の夫、場面緘黙の娘、軽度知的障害の息子を愛してる。