リアリストの癖に空想で生きるタイプっぽいメメ森の森
昨今のよく見かける自責だの他責だのを例に挙げると、それは有無ではなくて高低とか強弱を用いるのが適当ではないのか。また、その場においてそのレンジを調整して適切に扱えるようになるのがベターなのではないかい。なぜ二元論にするんだい?物事は大概グラデーションだろう。君はアクセルとブレーキしか積んでないのかい?みたいな事になるし、そういう意味であの手の物事を140字のTwitterや、画像主体のigでやるのどうなんと常々感じる。
これを機にもう使ってなかったTwitterのアカウントとそのためのGoogleアカウント消したりといった整理でもしようかな。各アカウントでしか繋がれていなかった人もいるのでなかなか悩ましいけれど。(元々フォローやフォロワーを整理しましたみたいなのが苦手。生き物にダイレクトに言葉として向けるものなのそれっていう部分で私の倫理観において「解せぬ」なのである)少し考えよう。
削除して下書きに戻すがあるのか。ほう。
ガールズタグつけたけど内面の吐露があまりにも増えそうなら外すなりしよう。あんまりあれなのは非公開にしたらいいけれど。あとからその辺編集できたらいいなあ。
昨日は誕生日だったけれどうっかり参戦したセールでモヤっとしたり、仕事で杞憂に走って認知の歪みを自覚して「ああ」となったり、誕生日プレゼントに買ってもらおうと思っていたベルトの在庫がスッカスカだったりで気持ちの空回りが酷かった。全て気候のせい。姉から送られてきたエコーの赤ちゃんがかわいくて、唯一の救いだったな。てぇてぇ。
駆け込みであの漫画を出してるところに通院してるので腰が重いけど今年は他に病院を探そう。あとタビ。とりあえずあたたかくなるまではまったり。
noteとはてブロはnoteの方が使いやすかったな。
とりあえずice cube使用。ブラウザ版とうまく使い分けて様子見るのが今のところありかも?
火辻さんを追いかけて〜の巻🐏🐈⬛
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