國風降誕祭之楽
師走の末ともなれば南蠻の鐘を鳴らしながら、しめやかに聖なる餠を食べ食べキリシト樣のお誕生をお祝ひするのが世のしきたりとなつてをります。南無マリヤ菩薩さま…
本曲は『清しこの夜』を我が國状に合はせ編曲したものに相違ございません😆
薄暗い貧相な部屋へカメラがパン
バシン バシン と叩く音
部屋の壁が音のするたび切り替わるように映し出される
巨大な日本国旗 憂国と書かれた書 軍艦の写真
先が割れた竹刀が振りかぶられる映像
叩きつけられる先にはロープで宙吊りにされた性別不詳の体操着を着た子供
手足はアザだらけ
体操着は所々血が滲んでいる
口の大写し「どうして口パクだった?」
頭の大写し 日の丸鉢巻
目の大写し 怒りに血走っている
顔の全貌 田母神閣下そっくりのおっさん
逆さになった子供の口がアップ
弱々しく「君が代」の初めの部分を静かに歌い始める
田母神閣下もどきの怒りの形相のアップ
「気合いが足りん!」
激しく竹刀を打ち付ける音にかぶせて唐突にテロップ
「体罰はしつけです」 なんたら広告機構😅
[DTM] 三善晃『どんぐりのコマ (5つの童画から)』金管合奏版
合唱曲をブラスバンドで演奏するというコンセプトです \(^o^)/
KORGのGM音源 AG-10 による演奏。
#musictrack #DTMerと繋がりたい #DTM
https://beta.musictrack.jp/works/34651
三善 晃:こどものための合唱組曲「オデコのこいつ」(詩:蓬莱泰三)
【Point de Vue vol.8】
2014.3.27 津田ホール
Chorus:島根県出雲市立第一中学校合唱部
Conductor:浜崎香子
Piano:鈴木あずさ
堀 悦子:男声合唱組曲「隠岐四景」(詩:岡本おさみ)
指揮 : 北村協一
演奏 : 関西学院グリークラブ (1980/1/27 第48回リサイタル)
東京放送(TBS)が1978年に委嘱,1978/11/12に北村協一指揮の東京混声合唱団男声部が初演,芸術祭最優秀賞を受賞。作曲者は「約24分の全曲からおよそ7分にわたる大巾な凝縮カットを主とする改訂を行い」「今夜はそのステージ初演」としている(この音源では曲間を入れてトータルでやはり24分ある)。
関学グリーは100名近くがオンステ,この複雑な曲を一糸乱れず歌い上げる様に驚嘆した。学生指揮者は広瀬康夫氏だった。
〈新装〉増補修訂版 相互扶助論 ピョートル・クロポトキン
3,300円 + 33pt
助け合う関係の歴史、共存の哲学。
「弱者を支援するために作られた組織」の方が「勝者が総取りする組織」よりも淘汰圧に強い
いまだに大杉栄の翻訳がそのまま通用しているところが凄いですね。
https://amzn.asia/d/fwnhzCN
『なぜ人は弱者を税金で生かすのか』 そんな質問に、「凄まじい答え」が寄せられた
「人間社会は弱者を助けることで存続してきた」
この発想の源流はロシアの思想家ピョートル・クロポトキン『相互扶助論』あたりに由来します。
https://buzzmag.jp/archives/184932
マストドンの「連合」という言葉はプルードンの協同組合論の発想の流れを汲むものだと思いますね。
垂直から水平へ。的場昭弘著『未来のプルードン 資本主義もマルクス主義も超えて』
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/my-asa/2p9skPq8K.html
オネゲルの最後の作品「クリスマス・カンタータ」
20世紀の苦悩も内包した名曲
オネゲルの『クリスマス・カンタータ』はアンセルメ指揮・スイス・ロマンド管弦楽団盤がオススメですね。少し録音が古いのですが・・・
Honegger : Une Cantate de Noel
https://music.apple.com/jp/album/une-cantate-de-noel-ah-de-profundis-clamavi/1452672823?i=1452673330
ラウダーテ・ドミヌム〜オネゲル『クリスマス・カンタータ』より
メロント・メンデルスゾーン合唱団
https://music.apple.com/jp/album/une-cantate-de-noel-une-cantate-de-noel-laudate-dominum/342007502?i=342007554
愛と平和の願い~スイス・フランス・ポーランドのクリスマス音楽~オネゲル:クリスマス・カンタータ
指揮:今村 能
多摩フィルハルモニア合唱団
管弦楽:フィルハルモニア多摩
https://youtu.be/4xkS69sYAzo
梅棹忠夫と「妻無用論」ー60年前の核心的女性論をふりかえるー
"1950年代の終わり、主婦をめぐって「主婦も職業を持つべき」「女性の幸せは家庭にある」という論争があったのですが、梅棹は「女性の家庭的役割」そのものに疑問を投げかけました。必要以上の家事労働は「疑似労働」であり、電化製品や業者が家事労働を肩代わりする世の中になると妻の役割は薄くなる。妻をやめることがその解決策である、と説いたのでした。"
森本和夫の『家庭無用論』(三一書房・1966年)とか読み聞かせてあげたら、鼻血を出して倒れてしまうような人もいたりして。
特に「壺」方面に・・・😆