囲碁、将棋であれば、「人間には理解出来ないが凄い」手というのが、勝利条件というものがルールにより明確に定まっていること、その手が実際に勝利を導いているという事実、によって担保されるけど、「人間には理解出来ないが凄い」表現というのは成立し難い。
その手前の「自分には理解出来ないが凄い」表現であれば、実際にそれを見ておののく人たちの存在だったり、ある人が評価しているという権威性だったりで担保されうるけど、当然そこにはヒトの存在が不可欠であって、表現というものはそもそもヒトに係わるものであるから、「人間には理解出来ない」というところで蹉跌する。
そういう意味で表現においてボトルネックになるのはヒトになるのだろう。
原稿の下に隠されしもの“引用・模倣・盗用・盗作”を通じて文芸の創造のなんたるかを考える
https://core.ac.uk/download/pdf/59287029.pdf
https://core.ac.uk/download/pdf/59287125.pdf
"言語"を如何に展示するかについて、モノの展示と現象の展示の差異。
言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第1回 言語展示って?(1)
https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2018/07/13/gengotenji-1/
言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第2回 言語展示って?(2)
https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2018/09/03/gengotenji-2/
ヒトとコトバと展示編
https://www.youtube.com/watch?v=LyqlLr80EJQ
日本手話における空間の文法化 http://slling.net/works/osonoe_kimura_ichida2003.pdf
読めるようになりたい: 日本手話のいわゆる動詞句削除現象 -非手指表現に注目して- https://kuis.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1822&item_no=1&page_id=13&block_id=17