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囲碁、将棋であれば、「人間には理解出来ないが凄い」手というのが、勝利条件というものがルールにより明確に定まっていること、その手が実際に勝利を導いているという事実、によって担保されるけど、「人間には理解出来ないが凄い」表現というのは成立し難い。
その手前の「自分には理解出来ないが凄い」表現であれば、実際にそれを見ておののく人たちの存在だったり、ある人が評価しているという権威性だったりで担保されうるけど、当然そこにはヒトの存在が不可欠であって、表現というものはそもそもヒトに係わるものであるから、「人間には理解出来ない」というところで蹉跌する。
そういう意味で表現においてボトルネックになるのはヒトになるのだろう。

違和感を感じるを意味が重複するから駄目とした場合、違和感を覚えるにしたところで、覚えるに感じるの意味が含まれているから、意味の重複という点で問題は何ら解消されてない。

原稿の下に隠されしもの“引用・模倣・盗用・盗作”を通じて文芸の創造のなんたるかを考える
core.ac.uk/download/pdf/592870
core.ac.uk/download/pdf/592871

"言語"を如何に展示するかについて、モノの展示と現象の展示の差異。

言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第1回 言語展示って?(1)
hituzi.co.jp/hituzigusa/2018/0
言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第2回 言語展示って?(2)
hituzi.co.jp/hituzigusa/2018/0
ヒトとコトバと展示編
youtube.com/watch?v=LyqlLr80EJ

大声により容易に遮ることの出来る音声言語は欠陥としか思えない。

Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。