なぜこんな思い出をはなすかというと、この経験のせいで、関東大震災の後の虐殺は、実に、とてもリアルに思えるのである。あの、わっ、と囲むときのあの無表情で、でも目はにやついたような、個を失って群れに飲み込まれて自分はなにがしかの安全地帯においたまま、みんなでやっちまえ、という顔顔顔。たぶん今から100年前もあの顔で(たった100年前だ)、しかも手には日本刀やら鳶口やら竹槍やら鉄熊でやらバットやらを携えていたわけである。そして同じようにニヤけた目で、被害者たちを木につるしたのだろう。だからそれは、デマに扇動されてパニックになった人々、というだけではない、より本質的な集団の嗜虐癖をそこに私は見ないわけにはいかない。
そのようなわけで、私は息を飲みながら、数々の証言を眺める。
寄ってたかって殴られるというのは、中学生で米国から日本に帰国して最初の1ヶ月はそんな感じだったので、他人事ではないというか、あの私をわっと囲んで誰が誰だかわからんような状態で集団でひとりを殴りつける時の一人一人の表情とか思い出すんだよな。楽しくて仕方がない、かつ何かに憑かれているような顔。一対一ではない、集団に埋没して暴力を振るう楽しさみたいなものを日本の社会はいまだに保持していると思う。
一人ずつ呼び出してやり返したんで半年後には無くなった。しかし今でもその陰惨な、自分も含めてとても嫌な気分になるし、いまだに集団でつるんでその勢いで乱暴になる日本の日本人になんとなく警戒を解くことができない。日本で就職もせずフラフラしているのはその必要をあまり感じないからではあるが、背景に幾許かはその影響がある。
架空のアイドルコンテンツにズブズブになっている今日ですが3年前から少しずつ土壌を作っていたので発芽するとスクスク育ってしまうの我ながらおもしろすぎてダメ なんでこのタイミングでハマったんだ