新しいものを表示

オフラインに対する期待度が低すぎて、今の政治はちょっとね、くらいのニュアンスが知り合いの口から出るだけでも驚いちゃうしちょっと喜んじゃうのよ

あまりにも日常にそういう話題がなさすぎるので、街で落書きやステッカーやパレスチナの国旗を身につけているのやデモなんかを見かけたりすると、おお!とは思うし、もしそれがこことは関係ない知り合いだったらちょっと嬉しくなると思う、それはそれとして違和感はずっとあるし、あんまり乗れない、とも思っている

どうせ生きるならなるべく快適に生きていたいし、みんなもそうだったらいいなと勝手に思う

どんな神経であっても、神経がなくても、それ自体が悪だとは思わないかな

でもさまざまなものに触れて、わたしだけの経験と感覚があって、で考えるとオリジナルなのか? みんなオリジナルなのか

わたしの思想が完全オリジナルだなんて思っているわけではない

スレッドを表示

年々どんなラベルもわたしに合わなくなってきている わたしはただわたし、わたしの思想はわたしの思想、それだけだな こういうトピックに関心があります、は言えるけれど

わたしは「だれもころすな」のワンイシューで生きてる ころすとは、ただ単に命が絶たれることだけを言うのではない

シェアしておいてアレだけれど、違和感の因数分解がまた少しできた感じある

covid-19が流行するまえからずっと考えているのが、磁器生産ゆかりの地をめぐる旅 それこそひとりじゃないと行けないような旅程になりそう

旅先に気になる博物館や美術館があったらスルーはしたくないし、ゆっくり鑑賞したいので誰かと一緒は厳しい 別行動してくれる相手ならいいかも

でもじぶんのペースで動きたいから、ひとりかめちゃ気が合う相手とがいいな

お金と時間に余裕があったらたくさん旅行したい

公式の解釈、作者の意図だけが真実みたいなのも違うよな〜と思う あらゆる表現には作者が意図していない意味が存在し得るし、作者が生きた時代や地域、文化といった背景とも切り離せない 昔「作品を作っているのは時代で、画家は出力をしているにすぎない」というような主張をした美術評論家がいたような(うろ覚えすぎる) それはあまりにも極端だと思ったけれど、発想はおもしろいというか、わからなくもない

あんなにキャラクターを創造するのが好きだったのに、今じゃまったく生まれてこない 年々じぶん以外のことに興味がなくなっている気がする

作家に憧れていた小中学生のころは、物語が生まれる過程の話を読み漁っていた

ミヒャエル・エンデさんも『エンデのメモ箱』のなかで、『はてしない物語』の主人公がファンタージエンからどうやって戻ってくるのかわからず途方に暮れた、というような話をしていた記憶

角野栄子さんも『ファンタジーが生まれるとき』のなかで、キャラクターができると勝手に動き出すとおっしゃっていた記憶

ペンミあるんですね…… 日本には来てくださるのだろうか……

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。