本屋論として書かれ始めたものなので「本屋本」ではありますが、書いている最中に少しずつその本質が変わっていった感じがあり、個人的には「みんなのための本屋論」という文言がしっくりくるものになりました。本(屋)には社会を変える力がある、と信じる/信じたいみなさんに届くことを願っています。
とりあえず、今日のところは以上です。たぶんほかに言うべきこと知らせるべきことがたくさんあるはずなんですが出てこないので、思い出したらまた書きます。『ユートピアとしての本屋 暗闇のなかの確かな場所』(大月書店)、4月下旬刊行予定です。
駄文だろうとなんだろうととにかく書き残すこと。それらはすべて「歴史」となり、後世の人々が生を希求する際の参照物となる。その瞬間に、かつて歴史を書き残した「私」はまた生き返る。あるいは(歴史として)ずっと続けてきていた生存に、光が当たる。
オーウェル『1984年』の中で、主人公ウィンストンは独裁者が禁じた「日記を書く」という行為を通して、未来に可能性を残そうとしていたように思える。残念ながら書き始めた時点から彼は「死(もしくは消滅)」を運命づけられたわけだけど、それは肉体的なものでしかない。
書き残すことはおそらく「終わり」よりも「始まり」を意味するのかもしれない。書き残し、それをきちんと「過去」にすることが、まわりまわっていつしか「現在」や「未来」になる。だから過去を奪われてはいけない。誰のどんな記録も、記憶も、意味を見出す人がいる。
私たちはもっと「自分の歴史」を大切にしたほうがいいのではないか。歴史は著名な人物のみによって形作られるわけではなく、無数かつ無名の”私たち”の日々の生活の積み重ねが、後世の人々からは「歴史」として認識されるのではないか。生存という抵抗の歴史を読めば、そこには必ず「私」がいる。
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*レターパックプラスの厚みなので発送は週明け月曜日以降になります
本書の企画元であるAHA![Archive for Human Activities /人類の営みのためのアーカイブ]と展覧会『わたしは思い出す』については以下リンク先より。
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来年秋、ご縁があって写真展をすることになり、どうやって届けたい人たちに届けようかとずっと考えている。悩みすぎて訳分からんことになってきたので一旦プリントしてみようかなあ。
もちろん非常勤の仕事も研究もあるので(来年こそはイギリスへ行きたい!叶うなら友人に会うためティモールとハワイにも行きたい)時間もお金も何もかも足りない気がしている。気じゃなくてたりない。読みたい本も観たい映画も行きたい展示も山のようにあるし。
数年先自分がどうなっているか、どうなりたいかとか分からないし、正直なところ考える体力気力もないけれど、とりあえず日々を積み重ねていくことができたら100点!と思うことにしている。
同じく博士課程を生き延びる友人と、定期的に話したり朝焼けとか夕焼けの写真を共有することで、私はこの世界に立っていると思えるし、足の裏に感じている地面が虚構ではないと思える。
などと思いつつ、履歴書と睨めっこしています。性別欄、男女いずれかに○、といわれましても…という気持ち。自由に書かせてほしい〜なぁ。
撮ったり、読んだり、考えたり、叫んだり、酒に飲まれたりしています。|queer|they/them|どこかで院生をしています。専門は19世紀日英交流史とか。ここはほぼメモ。