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寒い
身体が消しゴムになってしまい、内側と外側で弾性が合わずに裂けてしまう、そんな感じがする

大学前半くらいの時のメモ見たら、
「『定着』の能力に目覚めた主人公が、最初に力を使ったのは、己の憎しみに対してだった——」
と書いてありました

女形の体験(メイクや衣装)をできる場所があり、一回やってみたい

お皿の模様と重なって、耳と尻尾が生えたパンです

年明けなので、再びパンをトングで威嚇しに行きました。

「をんごく」感想 

「をんごく」を読みました。
作りが丁寧で、語り慣れているなというのが第一の感想です。
ホラーではありますが怖くなく、幽霊のさらにもう一先にある超自然的な存在をどう世界観の中にフィットさせればいいのか自分の中でしっくりきていませんが、ギミックとキャラクターでそこを乗り切っているのかなとも思いました。
各種描写、特に序盤の描写は素晴らしく、ここまでしっかりと必要なだけ書けていれば、この先の展開でリアリティのライン(どのレベルまでの超越的存在が出てくるのか)が多少揺らいでも、そういう世界なのだと納得できてしまう。
面白かったです。

めちゃくちゃ久しぶりにノエインを見たくなってきたけど、バンダイチャンネルくらいでしか配信だと見られなさそうだな

背景が相対的にしっかりしている組織なのは知っているのですが、それでもという気持ちがある

正直なことを言うと、災害情報に関してTwitter上で某作品の架空機関を名乗るアカウントが大きな役割を果たしている状況はかなりどうかと思っています(情報の信頼性や、いずれ起こるであろう間違いにどう対応するのか)

ヒトも街も宇宙も まわれまわる"タイミング"

紅白で知ったのか、電車の中で5歳くらいの女の子が「タイミング」を鼻歌で歌っていて何だか嬉しい気持ちになってしまった

キャラクターというものが何か分からなくなってきた話 

誰か一人の人間についてどういう人間か捉えようとするとき、私はその人との過去の会話やエピソードを思い出して内的に人格を構成してからそれを本人と同一視(「私から見たあなた」)するという行為をしています。
これをよくよく考えてみると、人間にとって他者理解がとても「フィクショナル」なことであるように感じられます。
創作の中の人物にキャラクターを見出すとき、キャラクターを好きになるとき、嫌いになるとき、そのときに行っている行為とまったく同一であるとさえ思えてきます。
そして、社会の中で暮らす人間という生き物にとっては、自己の認識もまたフィクショナルなものであって、「わたし」というものは、仮想的な周囲(これもまたフィクショナルに構成された他者によって成り立っている)によって逆に構成された二重のフィクションなのでしょう。

お題が難しそうであればあるほど考えたくなってしまう

自由すぎる状況だとアイディアが全く出てこないことが分かりつつある
それはそうという話でもあるので、制約と誓約ではないですが、縛りをできるだけ加えていく方が自分には向いていそうです

あけましておめでとうございます。
今年も何卒……

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